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エフェソの信徒への手紙

執筆者: 
ペトリ・トゥレン(フィンランド・ルーテル福音教会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

 「エフェソの信徒への手紙」は新約聖書の珠玉の書物群の中でもひときわ美しく輝いている宝石です。深みがあり愛と希望に満ちているこの手紙から、多くの人が信仰者として生きる力を汲み上げてきました。

この手紙の書き手、読み手、また手紙が書かれた動機について

 「エフェソの信徒への手紙」は、使徒パウロが牢獄で書いた手紙のひとつとみなされてきました。この手紙の名前は少し謎めいています。パウロはエフェソの信徒たちのことを個人的には知らないようにみえます(1章15節、3章2節)。とはいえ、パウロはエフェソではとてもよく知られた人物でした(「使徒言行録」19章)。いくつかの古い写本では、この手紙は「ラオデキヤの信徒への手紙」と呼ばれています。

 「エフェソの信徒への手紙」は「コロサイの信徒への手紙」と親密に関連しています。注意深く読むなら、これらの手紙が似通っていることに気がつくでしょう。これはどうしてでしょうか。片方の手紙が部分的にもう片方の手紙に基づいて書かれているからでしょうか。あるいは、これらの手紙の書かれた時期にある種の共通のテーマが広範にわたってキリスト信仰者の間で熱心に論じられていたからでしょうか。

 「コロサイの信徒への手紙」4章16節に「ラオデキヤの信徒への手紙」として記されているものが、「エフェソの信徒への手紙」であった可能性もあります。あるいは、「エフェソの信徒への手紙」がもともとは教会間で回覧されるために書かれた手紙で、それがエフェソの教会にも送られた、という可能性もあります。また、エフェソの教会宛ての手紙をもとに手紙のコピーが作られたので、この手紙が後になって「エフェソの信徒への手紙」と名づけられた、とも考えられます。

教会の手紙

 「エフェソの信徒への手紙」は 、「手紙」というよりも、「キリスト信仰者間の結びつき」とか「教会とは何か」といった表題のほうがふさわしい教科書です。この手紙の中心的な考えは、キリストがすべての人に神様の御許への道を開いてくださった、というものです。この「神様への結びつき」は、たんに個々人の私事に留まるものではなく、キリスト信仰者がより広範なひとつの総体へ結合することです。この「まとまり」とは、ちょうど頭が体を統制するのと同様に、キリストが統制する「世界に広がる教会」のことです。 キリスト信仰者同士の結びつきが具体的にはどのようなものか、という問題を手紙のこのメッセージは読者に突きつけます。今まで教会が存続してきたという事実が神様の大いなる善性の具体的なあらわれであることに、このガイドブックを通して読者が気づいてくれることを私は願っています。この手紙の説明で私たちは「教会」を新約聖書の視点から「理想の教会」としてとらえます。荒れ果てているかもしれない「現実の教会」ではないことに注意してください。

 「エフェソの信徒への手紙」を調べていくときには、「教会」という言葉の意味を正確に定義しておくことが大切です。これから先は「教会」という言葉を次の二通りの意味で用いることにします。第一に、ルター派である私たちは、「唯一の教会」が存在することをニケア信条に従って信仰告白します。ここでの「教会」という言葉は、天国への旅の途上にある人皆が属している「世界中に散らばり広がっている聖徒の集まり」という意味をもっています。第二に、「教会」という言葉は、歴史上存在してきた世界の諸教会のことを意味しています。なお、たとえばフィンランドで「教会」(kirkko)という用語は各教派の教会組織全体(フィンランド福音ルーテル教会など)を指し、国内に点在する地方各個教会(seurakunta)とは区別されています。

 教会に関する問題、すなわち、真の教会と偽の教会、さまざまな教派の教会組織、聖徒の結びつきに関する問題、については後ほどこのガイドブックでも取り扱うことになると思います。「唯一の教会」が実際に存在することが第一の要点です。また、「エフェソの信徒への手紙」では、「教会」という用語には肯定的な意味が込められており、その本質を照らし出す多彩で印象的なイメージが駆使されていることが第二の要点になります。

穏やかに沈思する賛美

 「エフェソの信徒への手紙」は、ゆっくりと思いをめぐらす穏やかな賛美の雰囲気をただよわせています。当時の礼拝式文がこの手紙の言葉遣いに影響を残しています。手紙の教えの内容も教会の伝統に沿ったものです。それはパウロの多くの教えのまとめであり、、新約聖書のほかの手紙でも扱われている具体的な生活指針を含んでいます(たとえば、「コロサイの信徒への手紙」や「ペテロの第一の手紙」と比較してみてください)。

 「エフェソの信徒への手紙」は、救いがすべての人々にもたらされていることを強調しており、「福音の奥義」というテーマを深く掘り下げています。ですから、キリスト信仰者として長い間生活してきた人もこの手紙から学ぶことはいくらでもあります。そして、私たちの切れてしまった神様との関係をイエス様が直してくださることを、この手紙は思い起こさせてくれます。また、人々を分け隔てている「壁」がキリスト教会では崩れ去るということも、この手紙は教えてくれます。ユダヤ人と異邦人はキリスト教会で互いを正しく認識することになるのです。「建物としての教会」というイメージはこの手紙で重要な比喩になっています。イエス様の死と復活および私たちの受けた洗礼のゆえに、私たちは「神様の子ども」なのです。それゆえ、この手紙で私たちは「神様の家族」にふさわしい信仰生活に関する教えを受けます。その目的は、「御父の子どもたち」の群れから誰もはぐれてしまわないようにすることです。使徒パウロの教えは十人十色のキリスト信仰者をひとつの教会にまとめます。その教えは、まだ神様を知らない人々に対して私たちが神様についての聖書的に正しいイメージを提供できるように助けてくれます。


引用される聖書の箇所は、高木が原語聖書から訳出したものです。